2011年06月16日

南紀すさみのブル、6月(11年) ブッチョと東北大震災・2

ボランティア活動記

お知らせのまま置いておく訳にも行かぬと言うことで「南紀すさみの四季・日本の南仏プロブランス」に書いたボランティア記事をこちらにもアップすることにした。


南紀すさみの6月(11年)東北大震災・被災地ボランティア2

宮城県・亘理町

当方の住むすさみ町、田辺市、白浜町、上の4市町の社会福祉協議会のボランティアバス2台(1台ボランテイア20名社協関係者3・4名)で2回目のボランティアに出かけた。

前回は和歌山県と社会福祉協議会のボランティアバス1台で関西広域連合の協定で和歌山県が支援する岩手県の大槌町に行った。

今回は4市町の支援の亘理町。
震災にあったのは亘理町でも海岸に近いところで、大槌町のように町長が死んだり役場が全損
なんて事もなく役場は地震の被害のみで津波からは幸いにも無傷。

大槌町から釜石市の海岸線の被害状況は目も当てられぬ状況であったが、ボランティアに入ったのは部屋が肩口ぐらいまで水に浸かった地域であった。

今回も部屋の中が頭程度まで水に浸かった地域であったが、本当の酷いのは既に震災直後に皆で何とかして住める状態まで回復しており、部屋より外回りであった。
本当にボランティアが必要なのは震災直後と思われるが、役所の体制が整わず申し出断っていたようである。

尤もこれからだってまだまだボランティアが必要とされるのは間違いない。
終わったお宅で大いに感謝され、勇気がわいて又復旧に立ち向かえると感謝されるのだから本当のところだろう。

でも今回2日目に依頼のあった家で、震災直後の皆さんの困難を味わえることとなった。
依頼者の家は平屋で外壁もそれほど大きく壊されてもいず、ただ家の前にはに泥の山だったと思える残骸の山があるのみ。

実は後で聞いた話だが、つい最近まで家の前を塞ぐ形で流されてきた2台の車が邪魔で片付けも何も出来なかったそうだ。

横手の勝手口のドア開けてびっくり、部屋の中は散乱した家具や日常品ばかりか瓦礫や病葉が腰どころか肩近くまで散乱、なんとなく異臭も在りどこから手をつけるか一瞬と惑う。

まず家の周りの瓦礫や泥を片付けてから部屋の片付けに取り掛かる。
津波で押し寄せた水が数日間引かなかったため布団や衣類や本など殆ど良品より分けるなんて事は不可能で、写真やカバンは何とか確保しておいた。
厄介だったのは冷蔵庫、3ヶ月放置のままだったからそれでなくとも特有の異臭に悩まされる中、下手にドア開けるとどれだけ腐ったものが散乱し異臭発散するか分らぬゆえロープで縛った上で移動、所が移動中に水気のものが流れ出しただけで臭う。

今回町ごとでチーム組んでの作業でわが町がこちらのお宅の依頼引き受けてきたわけだが、午後からは他の依頼で活動していた上富田町や白浜町のチームも追加でこちらに応援で入ってくれた。

濡れた畳はたっぷり水含んで上に泥かぶって4人がかりでの移動、布団類や衣類も泥水に浸かってすべて廃棄、その上瓦礫や大量の泥で作業終了時までにやっとのことで廃棄処理のみは片付いた。
出来れば床板ひっぺ替えしてしたの泥なんてことはとてもじゃないが無理、次のボランティアさんに引き継いでやってもらうしかなし。

この家の家族が後でやってきたときの話だが、家族4人がばらばらでご主人津波の濁流に流されは成れたところの電柱に何とかしがみついたそうである。
3月11日の冷たい泥水の中で浸かっていたせいか、助かった時には黄疸症状が出ていたそうだ。
奥さんも入ってきた津波の泥水に家の中に押し込められ徐々に増える水にやっとカーテンレールにつかまって外に抜け出しこちらも冷たい中長らく使っていたため足が黄疸症状。

子供たち2人も何とか助かったそうだが、家族の安否がやっと分ったのが4日後。
全てを失ったが家族4人が助かっただけでも良しと。
今もって皆さん小学校にて避難生活。

我々ボランティアなんてできる事は僅かなこと、国地方自治体が1丸になって復旧に取り掛かればもっと早く大きく前進できるはずで、こちらの家だって前に流れ着いた車さえ早く撤去できていれば、震災後3ヶ月もなるのにまったく手付かずなんて馬鹿げたことはなかろうと、本当に今の何も出来ない菅政権のバカどもが腹立たしいだけでなくそこを指摘しない大手マスメディアの腐敗堕落にも返す刀でバッサリである。

尤もそのお陰で、震災直後の皆さんのご苦労が理解できることとなって、自分たちの町の今後の防災対策を考える上で大きな示唆貰ったことになる。
多分今回のボランティアに参加した人たち全員に大きな衝撃を与え考える機会となったことだろう。
posted by がくさん7 at 22:41| Comment(2) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

南紀すさみのブル、6月(11年) ブッチョと東北大震災

お知らせ

明日10日早朝より、前回4月の岩手県大槌町に続いて宮城県の亘理町にボランティアしに行ってきます。
帰るのは13日に成ります。
コメの返事帰宅後になろうかと思います、よろしくお願いします。
posted by がくさん7 at 20:53| Comment(0) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

南紀すさみのブル、4月(11年) ブッチョと東北大震災−3

岩手県・大槌町でのボランティア活動記

福島で原発事故といっても和歌山まで離れていれば何の心配があるノって笑っていたらご主人から拳骨食らわされた。
なんでもマスコミは言わないけれど放射能風に乗ってあちこちに散らばって、沖縄だって飛んでいるそう。

ご主人の友人で電気に強い人がガイガーカウンター作って測ってみたら、未だ量は少ないながら2倍や3倍の数値が出たりしているんだって。

だからあの猪八戒の耳たぶ豚男が安全安心ばかり言いながら自分の子はシンガポールに避難させている、安全安心でどうして避難?
本当にバカ正直と思うよ。
TVの発表全て嘘ですよって言ってる訳なのに、マスメディアそこを突っ込みもしないから、こちらも癒着してますよって白状しているようなもの。

どことの癒着?東電はスポンサーだからこれはあり、それ以外にアメリカの影がちらちら
見えるってご主人言ってる。

下はご主人の大槌町行ったときのボランティア記。


8日から11日まで岩手県大槌町に和歌山県の社会福祉協議会のバス派遣が決まり、第1陣のボランティア20名が現地入りすることになった。

当初炊き出し500人分か1000人分持ち込んで友人と2人で行こうと画策したが、車の手配とガソリン補給が当時不明で、諦めてこちらに鞍替えしていくことにした。


8日の15時30分出発で、出発時点から雨で強まったり弱まったりの中運行、途中トイレ休憩15分が数回、食事の時は40分が夕食と朝食で2回、現地大槌町着が8時。
休憩含めて16時間半。
43人乗りのバスに22名、1名につきほぼ2名分の席だから、少しは楽のはずだが、手足伸ばせぬから矢張り熟睡は出来ぬ。

途中釜石から大槌にかけて、雨の中 TVで見た画面さながらの瓦礫の山に埋め尽くされた風景が延々と続いている。

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このような場所ではユンボやブルドーザー等の重機でないと埒があかぬ。
でも昔の津波の被害の時は重機などないことゆえ随分大変だったで在ろうと推察。 

福祉センターの担当者が10時まで来ず2時間待ち、そこから出先の桜木地区のボランティアセンターに振られて、そこで支援先聞いていったのが10時半。
20名が4班に分かれて各指定先に散った。

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当方が入った1班は、2m近く水で押し寄せられた家で、屋内の壁や畳はすでに片付けられており、最も豪いところが自分たちでやらざるを得なかった訳だから、もっと早くに支援が要ったことだろう。

1日目は家の建物の周りの泥掻き、雨もあって其れこそ泥だらけの仕事。
土嚢袋持参で来ていて、その点大いに仕事になった。
雨で合羽の下が汗でずぶぬれになったが、お陰で土埃も無くマスクもゴーグルもせずとも済み大いに助かったが汗がへばりついたのが玉に瑕。

それにこの日の仕事は体にも良いようで、泳ぎの代わりになるぐらい体を痛めつけた。
今回の参加者22歳から69歳、当方が最高齢と言う。
そのことも在り若い者に負けていれば矢張り高齢者では無理と後々まで 高齢者メンバーから外されかねんという思いもあり、特に頑張っておいた。
多少頑張れたのは、勿論バタフライの日ごろの練習が役立った訳だろうが、畑仕事が役立ったことも忘れてはならぬ。
当方が借りた畑、家庭菜園にはちと大きい上、石ころだらけで 石掘り出したり、耕運機なしで鋤や鍬だけで頑張っているから、日ごろから鍛錬していることになっていることだろう。

宿泊地が遠方と在って、15時過ぎに終わって、被災地から離れた花巻のホテルに移動。距離もある上、道間違えたりで着いたの19時半。
タダ助かったのは出発前日震度6強の地震で東北全県 電気や水道止っていたのが、すでに復旧していて、シャワーどころか温泉に入れた。
上から下まで汗だらけの身としてはおお助かり。
でも被災地でテント生活で被災者の苦労味わうぐらいの方がボランティアの趣旨にはあっていそうに思う。
ホテルで食事は取れず、相も変わらずコンビニのおにぎりや、インスタントラーメン、ただ被災地考えれば其れも未だましかも。

出発の前日の7日の水泳練習後の体重61.6キロ、其れからの食事量など考えれば多分63キロ程度はあろうかと思ったが、宿の秤で測定したら何と61キロ。
相当脂肪減った上、大量の汗で2キロ程度体重押さえられたらしい。

翌日は晴れ 再び花巻7時出発で大槌町の桜木地区に9時半着、この日晴れていたこともあって昨日以上に延々と続く被災状況をつぶさに確認させられることに。
又暫し待って昨日の家にボランティアに入る。
朝のうち昨日の続きと、スチール製の物置小屋4つの移動でこれが結構思い、ここまで力仕事。

後は屋内の家具類のの泥の掃除や障子の和紙剥がしなどで殆ど力不要の仕事。
只本箱の本が浸かった泥水でふやけた上、棚板と本がこびリ着いて少々では離れてくれず
大いに困った。
昨日は体痛めつけたが本日はそれほどでもなく、タダ出たごみを、ゴミの集積場に持って行く時に多少力使った程度。

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昨日と代わって晴れたこともあって、流石にゴミの集積場は特有の異様な臭いがしていたが、作業環境はそんなことも無かった。
でもこうしてボランティアが入っている家は、まだまだ少しで今後相当な数のボランティアが今後必要とされるだろう。

前日泊まったホテルが、帰途に風呂入りに寄って良いと言ってくれ、流石に皆さん喜んでいた。
このとき測った体重62.5キロと、この時点で昨日より1.5キロも増加。
ボランティアに備えて、炭水化物ばかり食事でとっていた上、余り汗かくような仕事をしなかった為の様である。

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16時近くに大槌町出発して、釜石の港の横をバスが通ってくれ津波の破壊振りを目の当たりにすることとなった。
大きな防波堤がひっくり返されて腹を見せていたり、横向いていたりと津波のエネルギーの凄さを思い知った。

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南紀の地の台風の高波対策用の防波堤なぞひとたまりも無い、災害対策としては大いに参考になる見聞であった、百聞一見にしかずである。

行きの反対をひたすら走って北陸道周りで、和歌山着が翌朝の9時半。

帰着の翌日(12日)串本のプールに練習に行ったが、練習前に体組成計測って驚いた。
なんと65.4キロ、1日目が61キロ、2日目が62.5キロ、そこから帰途に食った分の蓄積と翌日の食事がそれだけ効いたのか、それともホテルの体重計が少し狂っていたのか、今と成っては調べようもない。。

いずれにせよ、少し気を許して炭水化物とってしまうと長らく掛かって落としてきた体重がアッと言う間に戻してしまうと言うことである。
posted by がくさん7 at 20:58| Comment(0) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

南紀すさみのブル、4月(11年) ブッチョと東北大震災

東北大震災復興ボランティア

実はブッチョ君の朝夕の散歩はいつもご主人と一緒。

でも明日からご主人東北の岩手に行くことにしたそうで散歩と餌はママさんと言うことになると思っていた。

そしたらご近所の人がママさん3ブルの散歩に3回はえらかろうと散歩の手伝い申しいれてくれた。
その人長らく飼っていた犬が死んで今は寂しくしているという事で、それにご主人ボランティアと言うことなので、散歩の手伝いぐらいは手伝ってもということらしいノ。

だからブッチョ君今から楽しみにしているんだ。

下に東北行きの事貼り付けておくからね。


岩手県大槌町

8日から11日まで岩手県大槌町に和歌山県の社会福祉協議会のバス派遣が決まり、第1陣のボランティア20名が現地入りすることになった。

当初炊き出し500人分か1000人分持ち込んで友人と2人で行こうと画策したが、車の手配とガソリン補給が分らず、諦めてこちらに鞍替えしていくことにした。

東北道で行くのかと思いきや北陸道経由と言うことで、和歌山市を出発して延々18時間の長旅。
当方はすさみ町から和歌山市まで2時間以上掛かるから20時間以上のたびとなる。

往復にたっぷり時間取られて、実際のボランテイアは9・10日の2日だけだから大した作業も出来ないように思う。

でも1度行っておけば当地でボランテイア派遣を提唱することも出来ようし、そのときは当町の名物イノブタ汁の炊き出しも可能である。

当町は町の中心部が3から3.5m程度があらかたゆえ。5mの津波でも来ようものなら壊滅的被害発生。
タダ地形的に三陸海岸ほど大きな津波にはならないようだが期待の南海地震なら多分5m超える津波程度は来ると思わなければならぬ。

台風には今迄も痛い目にあっているから対策施されているが、津波は今回の大震災で目を覚まされたようである。

災害対策の意味合いから言っても今回岩手に行くのは単にボランティアだけに留まらずである。
ラベル:大震災
posted by がくさん7 at 21:10| Comment(0) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

南紀すさみのブル、3月(11年) ブッチョと原発

日高原発・日置川原発

今回もブッチョ君に関係しない訳ではないが、原発に付いて考えてみたい。

超巨大地震・東北地方太平洋沖地震と原発が大きな被害生もうとしている。
東北でとても大きな地震が11日に起きてすでに今日は25日、2週間が過ぎている。

でも当初8.4が8.8になりついで9.0、ふつういままでの地震では8.4以上はありえぬからおかしいと思っていたら、今回外国が採用している単位にそしらぬ顔して代えていた様だ。

おかしなことをするもんだと思っていたら、未曾有の地震で想定外のことが起こったから原発事故やむなしと言うことらしい、何とも姑息なことをするものだ。

震度5や6で事故起こってはと言うことらしいが、予備電源部分5mの津波で流される位置におかれていたようだから人災としか言いようが無い。

それに事故当初 アメリカからの原発事故の緊急支援申し出、廃炉前提のためバカ菅が東電ともども拒絶したそうで、その結果がチェルノブイリ凌駕する未曾有の放射能事故迄肥大化である、人災と言わずして何と言う。
その東電擁護が自民の金城湯池を民主乃至はバカ菅につけ返らせるためと聞く。

事故状況は隠蔽しまくって国民には危険知らせず、外国メディア参考にして分ってくるような有様で、父っちゃん坊や枝野以下、マスメデイアの御用学者共一緒になっての安心安全の垂れ流し、気が付く時には日本沈没。

原発避難20キロで屋外退避30キロ、30キロ地点では土中でチェルノブイリでも出なかった値が既に出でているそうだから、避難範囲100キロが妥当と思うが、其れも明確に避難指示出そうとしない、自ら勝手に避難せよとは何おかイワンや。

東電・政府の補償問題しか頭にないから、事故矮小化に懸命、福島原発事故受けてドイツでは運転中の原発止めたと言うのに。

当和歌山の日高地方や隣町日置川でも その昔 町2分するような関電の原発誘致の大騒動があったが、反対派の町民や京大原子炉実験場の助手6人衆の活躍などで誘致失敗に追い込んだそうで、今回の事故見るにつけ、その慧眼に頭が下がる。

お陰で風光明媚で肴が美味いの評判維持できているわけだから、当方のワンコ共も浜辺の散歩に心配要らぬ。。

でも福島原発、早くコンクリートでかためて廃炉にしてくれないといつ何時大きく爆発で連鎖の爆発起こそうものなら関東・東北 人が住めなくなり、太平洋側の海岸線放射能汚染で魚貝類に海藻類全て食べれぬことが起こる。

このような人知の及ばぬ事故では最悪考えてやってもらわねば、最善尽くしたが結果が最悪では誰が責任取って済むと言うものではない、尤もバカ菅責任逃れしかねぬが。

こんな大事故の時のトップがバカ菅では日本も日本国民も最大不幸で、其れを国民に示せぬマスコミも同罪である。

以下に 如何に枝野も御用学者もマスメディアも原発事故に対して酷い発表しているかを分り易く解説しており事故にどう向き合うべきかを示唆してくれている、2時間と少々長いが是非参考にしていただきたい。

広川・広瀬緊急講演会より
『緊急報告「福島原発で何が起きているのか」』
http://www.ustream.tv/recorded/13509353


posted by がくさん7 at 21:07| Comment(0) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

南紀すさみのブル、3月(11年) ブッチョと大津波

超巨大地震・東北地方太平洋沖地震と原発

東北でとても大きな地震が11日に起きたそうダ。

その地震で起きた津波で東北地方に壊滅的被害をもたらしたそうで、その津波が此方まで来るということで、避難勧告が出ていた。

ブッチョ君のおうちは海から7・80mしかないから大きな津波が来ればイチコロかも知れないサ。

でもお散歩の時浜辺に行ったけど何の兆候も見えない、町民への連絡用の拡声器盛んに気をつけるよう言っていたけど海見ても、沖だって何も無いからいつもどおり浜辺に下りて歩き回った。

流石に誰も近づかないから浜辺貸切状態で、風で足跡消されていた浜辺に新しい足跡つけるのって何とも気分が良いんだ。

いつ 波の盛り上がり来ても逃げれるよう 沖見ながら歩いていたがそんな兆候全然見られなかった。

以前東北で矢張り地震あったとき、今ほど大騒ぎしてなかったからご主人外海と隔てているボートで無いといけない一文字波止に一人で釣りに行ってた時に津波に出会ったそうなんだ。

津波の盛り上がり30センチほどで大した波ではなかったそうだが、普通の波は海面だけだから2m3mの波だって大した事はない。

でも津波は海の底から全体で押し寄せるからパワーが違い波止に沿って渦巻きながらゴーって流れが出て其れは凄かったって、その後海が凄く濁ってしまって釣りにならなかったんだって。

と言うような訳でブッチョ君の散歩無事終了、但し今度の件でご主人原発について書きたいんだって。

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原発の真の恐怖の隠蔽体質

日本は地震国であり、このような地に原発を作ることが大きな問題を抱えることに成ると
かねがね主張してきた。

当局側が如何に隠蔽しようと、放射性物質を撒き散らしており いろんな弊害が出だしていることが明らかになりつつある。

原子力が如何に怖い存在であるかは広島・長崎の原子爆弾の例のみならずチェルノブイリ
での原発事故やスリーマイルズでの原発事故で明らかである。

原発は炭酸ガスを出さないクリーンなエネルギーと言うがこれも詭弁である、ウラン精製時にエネルギー無しでできるわけは無い、百歩譲って出さないとしても放射能と炭酸ガスで、人類の長い歴史考える時どちらが怖いと言うのだろうか?

昨日 福島第一の1号棟の天井・外壁が爆発でぶっ飛んだが、その建屋がタービン建屋か炉心建屋かすら発表しない、5時間もたってから水素が充満して爆発したが、炉心容器は大丈夫で心配無用だそうである。

爆発直前の放射能レベルが報告レベルの2倍の量と言うことは発表しているが爆発後に幾らになったかは発表しない、こちらも数値下がるわけが無いから、余程深刻な数値がでているのであろう。

100キロも離れた柏崎の原発で放射能計測していたら、福島の原発の放射能と思われるものが計測されたと言う。
100キロ離れても影響あるのが、ごく近くで余り問題なしなんて全くふざけた話である。

避難範囲も当初3キロから始まってついで10キロ、建屋が吹っ飛んでからは20キロと発表。

本当は20キロどころか100キロだって、最悪考える必要が無いのか 疑問である。

当方は理科系であるが原子力に門外漢である。
しかし当初炉心の冷却に問題ありと聞いただけで、炉心爆発の可能性と放射能の大量漏洩を心配した。
実際に心配した方向にどんどん進んでいると言わざるを得ない。

本日になって福島第一の3号棟にも水素ガス充満して爆発の恐れ、それに福島第二だって全ての棟で炉心冷却が出来なくなったということである。

どれか一つでも炉心容器爆発すればとんでもないことが起こるのに、そこを考えれば避難範囲20キロで済むのか大いに疑問である。
たまたま1号棟の水素爆発最悪の事態引き起こさなかったから今後も大丈夫と捉えるか運が良かったと捉えるかの違いである。

原子力行政が今まで国民の目欺き隠蔽体質で乗り越えてきたが、今回相変わらずその体質から抜け出せていないようだ。

チェルノブイリやもっと以前のソビェト連邦時代の放射能廃棄物の爆発による放射能大量漏洩の隠蔽となんら変ることがない。

核燃料再処理工場のある六箇所村でも地震がいつ起こっても不思議でない場所に立てられていると言う。

もし再処理工場で爆発起こせば東北だけで済みそうな気がしない、その辺りに詳しい原発問題研究者の一人が退官を期に居住地三浦半島から長崎県に移住した大きな理由が、再処理工場の異常事態恐れてと聞いたら皆さんどうお思いだろう。

下記に原発問題の啓発記事をアップしておきます。

原発問題研究者に聞いてみました/日本の原子力発電って大丈夫なのか?
http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200704/contents05/theme05.php 
posted by がくさん7 at 21:11| Comment(1) | 天災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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